千石/デザイン fusion 仕事術

交剣知愛、人と関わり成長する。疾風迅雷、世の中の動きに敏捷に構える。

【Beginning】私がデザイナーになった理由

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当たり前のように絵を描くのが好きな子供で、広告の裏の白いのをためてはそれにロビンマスクウォーズマンキン肉マンは描かない)など色々落書きをしていた。

エレベーターアクションというファミコンのゲームの主人公を描いたりもしていた。髪型が父親に似ていたから、それを見せたりしていた。(結構可愛い子供だな)

幼少期は本当に充実していた気がする。6歳くらいまで楽しい記憶しかない。

しかし事件は多々起きた。まず5歳くらいで階段からゴロゴロと落ちた。頭と目のあたりの顔面を打った。(病院行ったのかな)今も傷が残っている(凹んでいる)失明しなくて本当に良かった。

さらにもう一回5歳くらいで足でガーガーと進む「足けり乗用玩具」で坂道を直滑降ダウンヒルしてアスファルトに頭を打ち流血。(病院行ったのかな)

そして車の排気ガスが好きでよく吸ってはラリっていた。完全に頭のネジがぶっ飛んだ子供になった。(これが原因で頭おかしいことになっていたかもしれない)

そんなこんなで小学校1年生の図工の授業で短冊のような画用紙に花を描くというのがあって、私は蓮華のような紫の花を描いた。神経を研ぎ澄ませ、一点に集中し筆を走らせ、非常に疲れたのを今でも覚えている。その絵をおじいちゃんに「天才じゃあ!バランスがええのう!」と散々褒めてもらって、その絵は今でも30年以上実家のリビングに飾ってある。それがきっかけ。自分は天才なのか、と。

でもいまだにそれよりうまく書ける自信がない。6歳にして天才は終了した。そのくらい絵描きが書いたようなシンプルな水彩画になっている。

私は、子供の頃から広告の裏に絵を書いていたので、プロ以上に毎日広告に目を通していた。(特にジュエリーのチラシが大好きでいつもサファイヤを見ていた。ダイヤモンドより綺麗だった。最近20年ジュエリーのチラシ、見たことがないけど。)

やはりそういう日常生活のルーティンが今の自分を作り上げていたのかもしれない。

 

今日はこの辺で。

 

ありがとうございました。

 

【千石】

 

 

 

 

 

 

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